
戦慄!「ケンカマッチ」「不穏試合」発言集。その時、レスラーは何を言い放ったのか? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレスって動画が話題らしいぞ
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低評価wwwww
オレたちのプロレスと格闘技の考察の動画は良作が多いな
プロレスで検索したら上の方出てきた
日本語が理解できないバカが多いな
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あらかじめ勝敗が決められているはずのプロレスの世界で、なぜか突如として空気が変わる瞬間がある。リング上に漂う異様な緊張感。そして試合内容そのもの以上に、そこで発せられた一言が長く語り継がれるケースがある。特にケンカマッチや不穏試合と呼ばれる一戦では、レスラーの感情がむき出しとなり、予定調和を超えた言葉が飛び出すことが少なくない。プロレスは長い歴史の中で、幾度となく「これは本当にアングルだったのか?」「いや、あれはガチだったのではないか」と語り継がれる試合を生み出してきた。特に昭和プロレスの時代には、リング上での感情がそのまま試合内容に反映されることも珍しくなかった。だからこそ、レスラーたちが放った一言は、何十年経った今でもファンの記憶に深く刻まれているのである。
「リングにのぼってから二度も木村は引き分けでいこうと言った」(力道山)
1954年12月22日、蔵前国技館、日本プロレス史最大の事件とも言われる、力道山VS木村政彦戦である。柔道界最強とうたわれた木村政彦と、日本プロレス界の絶対的スター・力道山。この一戦は、単なる試合ではなかった。当時の日本国民が固唾を呑んで見守った“世紀の対決”であり、戦後日本のヒーロー同士の衝突だったのだ。結果は、力道山が木村を一方的に蹴り続ける壮絶な展開となった。特に木村がうつ伏せになった状態で放たれた執拗な蹴りは、観客に強烈な衝撃を与えた。試合後、木村は顔面を大きく腫らし、無残な姿をさらすことになる。
そして翌日の毎日新聞で、力道山はこう語った。
「リングにのぼってから二度も木村は引き分けでいこうと言った」
つまり木村が“八百長”を持ちかけてきたというのである。これは力道山側の先制攻撃でもあった。試合内容があまりにも異様だったため、世間では「本当にケンカだったのではないか」という噂が飛び交っていた。そこで力道山は、“木村側が八百長を持ちかけてきた”と公表することで主導権を握ろうとしたのである。
だが、この発言によって皮肉にも「プロレスは八百長」というイメージが世間に広く浸透してしまった。結果として、この試合は日本プロレス界最大のタブーとなり、後年に至るまで延々と議論され続けることになるのである。「今度上がってきたら、ブチ〇すぞ!」(アントニオ猪木)
1976年10月9日、韓国・大邱体育館。アントニオ猪木VSパク・ソンナン。
当時の猪木は、世界各地で“最強”を証明しようとしていた時代である。まだ異種格闘技戦ブーム前夜ではあったが、猪木の中にはすでに「プロレスラーこそ最強」という思想が確立されていた。
そんな猪木が韓国へ招待され、現地のエース格だったパク・ソンナンと対戦することになる。だが試合前、猪木側に「今回は負けてほしい」という要求が出されたと言う。韓国側としては、自国スターに花を持たせたかったのであろう。
しかし猪木は激怒した。
リングに上がった猪木は、いつものショーマッチ的な動きではなく、完全にガチモードへと切り替わっていた。相手の目を指で突き、容赦なく攻め込む。場内は騒然となり、もはやプロレスの空気ではなかった。
そして場外へ逃れた相手に向かって、猪木は日本語でこう怒鳴った。
「今度上がってきたら、ブチ〇すぞ!」
会場の観客には意味がわからなかったかもしれない。しかし、その言葉に込められた〇気は誰もが感じ取っていた。猪木の表情は鬼そのものだったと言われる。
試合は混乱の末、無効試合。だが、この一戦によって猪木の“狂気じみたリアリティ”はさらに伝説化していくのである。#猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
>>7 おつかれ。いつもありがと
>>7 ありがとう
>>7 おつおつ
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